2021.09.05
「意志あれば道あり」 菅首相が‟けもの道″で行き詰った4つのワケ
座右の銘に「意志あれば道あり」という言葉を掲げていた菅首相。最後は「けもの道」に迷い込み、出口を見つけ出せないまま退陣に追い込まれた。一体なぜこんなことになったのか。
退陣する首相の失敗を省みて総括することは、次のリーダーのあり方を考えるうえで極めて重要だ。4つのワケから考察してみたい。
■ワケ①「自信家」ゆえの柔軟性の欠如
「総選挙さえ先にこなしておけばもっと政策にも幅を持てた。今更こんなこと言っても遅いが。」ある首相側近議員は今もこう嘆息する。政権発足当初、74%という高い内閣支持率(2020年9月読売日本テレビ世論調査)を受けて自民党内には早々に解散総選挙に打って出るべきだという声が少なくなかった。この側近議員も、「これから感染はさらに拡大するし、経済も悪くなります。今のうちに総選挙を済ませておくのが賢明です。」と菅首相に伝えたが、菅首相は一顧だにしなかった。「選挙にそんな風に勝ちたくない。首相として結果を出してから勝ちたい」と周辺に話していた。
議員の任期満了近くまで政策を遂行し、その後の選挙で審判を受ける、これは極めてまっとうな考え方だと思う。しかし、現実の政治では決してオーソドックスではない。歴代の首相は解散権を、政策の遂行のテコに、国会追及のリセットに、野党潰しの手段にと政権維持の手段として利用してきた。そして選挙で勝てば「国民の支持を得た」という錦の御旗を手に求心力を保ってきた。この手法を駆使して歴代最長政権となったのが、菅氏が官房長官として仕えた安倍前首相だった。
だが菅首相は敢えてそうした戦術をとらなかった。従来から任期を多く残しての解散に否定的だったことに加え、自分の政治は評価されるに違いないとの「自信」があったのだ。かねてから取り組んできた日本の観光立国化などの経済政策については強い手応えを得ていたし、就任当初に掲げた携帯料金の値下げや不妊治療の負担軽減、デジタル庁の創設という政策は、どれも国民におおむね評価されていた。
コロナの感染拡大は抑えながら経済も回し、さらに個別政策を実現して評価を得る。そして東京五輪を成功させた勢いを得て、総選挙に勝利する。菅氏はそう基本戦略を立てた。同時に、周囲にはこう語って「自信」を覗かせていた。「自分は追い込まれ選挙にはならない」。
しかし皮肉にもその「自信家」ぶりが菅政権を徐々に追い込んでいく。コロナの感染拡大が続き、専門家にいくら提言をされても、経済を回し続けることへの拘りを捨てきれなかった。結果、緊急事態宣言の発出、GO TOキャンペーンの停止など、感染拡大防止の施策は次々に後手に回った。
さらに、迫りくる東京オリンピックに対しても、菅首相は中止や延期論には一瞥もくれなかった。有観客か無観客かの判断もギリギリ。オリンピックそのものが選挙を挟んだ与野党の政争の具と化し、賛成反対で国論を二分する不幸な事態となってしまった。
自らの政権運営に自信を持ち、当初描いた「総選挙勝利に向けたシナリオ」に拘り続けて柔軟性を欠いたたことは、菅首相の政策の手足を縛り歪めてしまった。首相周辺は今もこう語る。「選挙さえなければ、もうちょっとまともな政策が打てた。それは間違いない。」そして総裁選と絡んで奇策を連発し、八方ふさがりの状況に追い込まれることはなかった。
総選挙を先送った以上、任期満了近くで政権に厳しい状況になっていても悪あがきせず、厳しい審判を甘んじて受ける覚悟が必要だっただろう。麻生政権の時、リーマンショックを受けて選対副委員長だった菅氏は解散の先送りを進言し、追い込まれた挙句に結果政権交代を許してしまった。その教訓が生かされることはなかった。
■ワケ②直言する側近を持たない「孤高の首相」
なかなか妥協しない頑なな性格は、菅首相の長所でもある。菅首相と話していると、信じた方向に突き進む強い「信念」を感じる。正しい方向に進めばそれは「ぶれない」「突破力」として評価される。だが方向が間違っていた場合はどうなるのか。首相となれば国全体が間違った方向に突き進んでしまうリスクとなる。
さらに菅氏は、この「信念」に異を唱える官僚や側近を外すことを厭わない政治家だ。かつて菅氏と話した際、「異論を受け入れるのもリーダーの度量じゃないのか。傾聴すべき異論もあるかも知れない」と尋ねたことがある。しかし菅氏は「官僚が我々がやろうとしていることと違う考えを持つのは、一切許さない。当たり前のことでしょう」とまったく悪びれる様子がなかった。こうした人物がトップに立った時、周辺は諫めることをしなくなる。首相周辺はこう語る。「菅さんは自分で何でも決めてしまう。そして、何を考えているのか、本当のところはわからない」
そんな状況の中で、耳の痛い情報や意見は封印され、自らに都合のいい楽観論に捕らわれた。その最たるものが「とにかくワクチンを打った人が増えれば感染拡大は収まる」というものだ。「夏になって接種率が4割を超えれば、感染者は劇的に減る。」もちろんワクチンの効果は否定しないが、ワクチン一本やりとも言える菅首相のこうした思い込みは、病床数の確保や医療体制の充実化に向けた施策が遅れた要因となった。
私は今年、徳川家康がAIによって現代に蘇り、総理大臣に就任してコロナ対応に当たるというSF小説の政治監修をする機会を頂いた。徳川家康はリーダーと言っても選挙で選ばれた政治家ではなく、封建時代の独裁者だ。だがその治世には多くのヒントが散りばめられている。
265年も続いた徳川幕府の礎を築いた徳川家康の最大の特徴は何か。それは要所に専門性の高いブレーンを配置し、その意見を聞いたところにある。それは政治のみならず農政・財政・貿易・宗教と多様な分野に及んだ。どんなに優れたリーダーでも、人間一人の知見には限界がある。戦国時代の独裁者に見える家康だが個人の限界を、ブレーンを信頼して補っていくことで、様々な事象に対応できる政権の安定感を生み出したのだ。
菅首相は、与えられたポストでその突破力を発揮してきたが、総理大臣候補として幅広い政策を学んできたタイプではなかった。だが首相自身がそれを自覚し、周囲にそれぞれの分野に秀でたブレーンを配置して、その直言を柔軟に聞き入れる姿勢を持っていたら、事態は変わっていたのではないか。しかしながら、菅氏にはそうした準備も姿勢もなかった。
そもそも菅氏は無派閥で、自民党内にも初当選の同期以外に仲間は多くない。組閣も前政権からの引継ぎと論功行賞が目立ち、肝心かなめの官房長官、副長官という官邸スタッフもチームを構成しているとは言い難い。ある閣僚経験者は「官房長官は加藤さんしかいなかったのか。官房長官がもうちょっと菅さんと腹を割って話せる人なら、結果は違ったのではないか」と話す。
チームを作らないまま菅首相は、決して得意分野とは言えない感染症対策でも「なんでも一人で決める」状況に陥った。結果として、対応は後手に回った。そして楽観論にしがみつき、状況がさらに悪化するというスパイラルに陥ってしまった。
■ワケ③ 得意じゃない説明も「自分のままでいい」
菅氏はいつも、格好良い演説や見栄えのいいパフォーマンスは「あまり好きじゃない」と言う。秋田で生まれ、「高校卒業と同時に家出同然で東京へ出た」(『政治家の覚悟』)という菅氏。目立つこともなく地道に努力してきたのだろう。そして閣僚経験者の一人は「菅さんは黒子的な役割だったから、丁寧に説明するとか分かりやすく話すということをしないで、総務大臣、官房長官と成功してきた。やってきたことは官僚を恫喝して従わせること。その成功体験のまま首相になってしまった」と語る。
ただ国のリーダーとしては緊急事態に国民に丁寧に説明し、理解してもらい、勇気を与えることが重要な役割であり素養であることは論を待たない。官房長官なら許されていた「型にはまった説明」「余計なことは言わない」という姿勢では国民は納得しない。
実のところ、周囲からの指摘もあり菅首相も自分の発信力不足を気にしていた。だが結局、「変わらない」ことを選んだ。検討の結果、周囲に「自分は自分のままでいい」と語ったという。かたくななのだ。会見にプロンプターを導入するが関の山。原稿を読み上げるだけの紋切り型の会見を続け、国民の失望を買うことになった。
■ワケ④ 大きなビジョンの欠如
これまで取材で幾度も菅氏と話してきたが、個別具体的な政策については雄弁に語るが、国家観や、この国のあるべき姿といった大きなビジョンについてはなかなか話が及んだことがない。ふるさと納税や、NHK改革、携帯料金の値下げなど具体的な政策では主張は明快だが、そうした政策が国家全体にどういう意味があるのか、政策を通じてこの国をどちらに導きたいのかという文脈につながっていかない。散発的なのである。
前段で、総選挙に向けたシナリオにこだわって柔軟性を欠き、政策が縛られたと論じた。しかしたとえ事前のシナリオがあったとしても、もし菅首相にコロナ危機に対する国家安全保障の観点からの確固たる認識があれば、その時々で優先順位を間違うことはなかったのではないか。泥縄式な対策に追われていると、結局大きな筋道を見失うのである。
確かに菅総理は前総理の突然の辞任によって誕生した総理大臣だが、総理大臣になる心構えや準備は不足していたと言わざるを得ない。
今回のコロナ感染拡大の忘れてはならない教訓は、予見されている危機への事前の対策の重要性だ。感染症対策の必要性は訴えられながら、保健所の数や国立感染症研究所の予算が削減され続けていた。台湾有事、首都直下地震、地球温暖化による災害の急増、生産年齢人口の減少。そして国が緊急事態に陥った時に政府に何ができるのかの整備。目先の利益を追う政策だけでなく、こうした中長期的な課題についてもリーダーに意識がなければ、また「準備不足」を繰り返すことになる。
■国民にも求められるもの
これから政治日程は自民党総裁選、衆議院総選挙と進んでいく。日本のリーダーを選ぶ戦いが続く。この国を誰がどのように率いるかによって長いトンネルの奥に見える光が近くも遠くもなるし、まっすぐな道にも「けもの道」にもなるだろう。
菅首相の失敗の教訓を生かして「信念と柔軟性を兼ね備え、チームを構成して様々な問題に的確に対応し、国民に説明して理解される言葉を持ち、国家観や中長期的な危機意識のあるリーダー」が生まれるだろうか。
理想的なリーダー候補というのはなかなかいないだろう。しかし、政治の貧困をただ嘆いても前には進まないし、徳川家康も蘇らない。重要なことは我々国民の側も政治に関心を持ち、中長期的な危機に対して具体的な解決の道筋求め、政治家の資質を質していかなくてはならない。国民が意識を高め声を上げることが、少しずつでも政治家の側の意識も高め、またリーダーの姿勢も変えていくことになる。最後に「政治は国民を映す鏡である」ことは忘れないでおきたい。
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